灯里の会が河北新報に掲載されました。

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気になる記事

画像が小さくてすみませんが、なんとなく身近で気になる記事です。

ダイヤモンドオンライン

ダイヤモンドオンライン 
「3.11の「喪失」~語られなかった悲劇の教訓 吉田典史」の全記事一覧
http://diamond.jp/category/s-tragic-affair

 

第13回
http://diamond.jp/articles/-/18479
[2012年05月15日] 取材を受けました。

家族を苦しめる心のケアに何の意味があるの?
息子を自殺で失った母が震災遺族を支え続ける理由
「つむぎの会」代表・田中幸子氏のケース

河北新報(2011年(平成23年)11月7日)

【河北新聞 平成23年11月7日(寺島英弥)】
子亡くした痛み共有/「つむぎの会」 ◎親同士語り合う場提供

「最初は言葉が出なかった。娘たちを思うと涙があふれて」。
3月11日の津波で40歳と38歳の娘を亡くした名取市閖上の橋浦好美さん(66)は、
「アパートにこもりきりだった毎日から、やっと一歩を踏み出せた」という。

同じく家を流された近所の友人に誘われ、10月27日に訪ねた「つむぎの会」。
会場となった仙台市宮城野区の慈恩寺で樋口法生住職(41)の講話の後、
参加者同士で語り合った。
集ったのは20人。津波でわが子を亡くした親たちが月に1度
語らう場として6月末に仙台で始まって以来、一番多い参加者となった。

会は7月から石巻市、8月から気仙沼市でも開かれている。
大半は母親たち。「幼い子どもが行方不明のままの人も多い。
つらい思いを訴え、泣ける場所が日常になかったのです」
主宰する田中幸子さん(62)=仙台市青葉区=は話す。
宮城県内の自死遺族が集う「藍(あい)の会」代表でもある。

5月初め、相談電話に入った一本の留守電が活動のきっかけになった。
津波で殉職した石巻市内の警察官の母親だった。
「周りからは立派な息子とほめられて。
それよりも生きてほしかった。泣きたいのに泣けない」
途切れ途切れの声に田中さんは衝撃を受けた。

自身も6年前に警察官の長男を自死で亡くし、思いは伝わった。
「避難所で暮らす方でした。自死の問題を抱えているけれど、
その人のためにも、新しい場づくりを始めよう、と決心しました」
つむぎの会は本来、田中さんが藍の会と並行し5年前から続ける
、病気や事故で子どもを失った親の集い。
一緒に運営してきた仲間も電話の話を聞いて賛成してくれ
新しい活動へと広がった。

石巻市三ツ股の家を流され、仮設住宅に住む鈴木由美子さん(42)は、
地元での会に1回目から通う。10月27日も遠路参加した。
「会で出会い、語り合う人はみんな、一緒に頑張れる戦友ですから」
3月11日、家族と別々の車で自宅から避難する途中、
小学6年になる三男秀和さん(12)が乗った車が津波にのまれた。
「それからの私は、生きていいのか、死んでしまったらいいのか、分からなくなった」と言う。
そんな時、石巻でのつむぎの会開催を新聞で知り、
会場だった市役所の会議室(現在の会場は市医師会館)を訪ねた。

同じ痛みを抱える母親たちと「自然に話ができ、
受け入れられた。秀和の母でいられる場所になった」。
どの会場でも「回を重ねた人が、新しい参加者の話を聴いたり、
スタッフ役を引き受けたりしてくれる」と田中さん。

藍の会の自死遺族の母親たちも「自分の子を救えなかった思いは同じ。
その分、誰かを手助けできたら」=笠松久美子さん(53)・仙台市宮城野区=と参加している。
田中さんは「同じ街で同じ津波を体験した親の出会いが、
互いを支えるつながりの会、心の復興を助け合う場に育ってほしい」と話す。
つむぎの会は

仙台 毎月最終木曜

石巻 最終日曜、
気仙沼 第1日曜

午後13時~16時
連絡先 田中 090(5835)0017

産経新聞(2011年(平成23年)7月6日)

【産経新聞 平成23年7月6日(水)15時47分配信】

東日本大震災で子供を失った親たちを支えようと、
被災地で自助グループを設立する準備が進められている。
悲しみを打ち明け、悩みや不安を解消する場所としたい考えで、
月末に宮城県石巻市で初会合を開き、
名称や活動内容を参加者に決めてもらうという。
呼びかけ人の田中幸子さん(62)=仙台市青葉区=は
「震災で子供を亡くした親を支援する場はこれまでなかった。
思いを共有する第一歩にしたい」と話す。

田中さんは、自殺者の遺族らでつくる仙台市の自助グループ
仙台わかちあいのつどい 藍の会」代表。

平成17年に宮城県警の警察官だった長男の健一さん=当時(34)=を
自殺で亡くし、翌18年に同会を立ち上げた。
これまで悲しみを聞いたり、経済的な相談を受けたりしてきた。
今回の活動のきっかけは震災後にかかってきた一本の電話。
住民の避難誘導や水門の閉鎖に奔走する最中に犠牲になった
石巻市の消防団員の母親からだった。
「息子は英雄視されて、悲しくても涙を流せない。
警察官の息子を亡くした田中さんならつらさを理解してくれるかも…」
避難所が寝静まった深夜、涙ながらに話す母親の言葉に、
新たな自助グループの必要性を痛感したという。
この日以降、 田中さんは地震や津波の被害が大きかった
宮城県沿岸部で、 子供を失った被災者に
グループへの参加を呼びかけた。
石巻市とも交渉し、7月31日に同市役所の会議室を借りて
初会合を開くところまでこぎつけた。

参加者の悲しみや不安を打ち明けてもらい、
内容に応じて弁護士や行政関係者ら専門家を
紹介することを目指している。

阪神大震災で子供を亡くした被災者に
経験談を語ってもらうことも計画しており、
田中さんは「つらさを口に出せず、
我慢するしかなかった親の心を癒やす取り組みにつなげたい」
と話している。

最終更新日

2017年(平成29年)5月23日